富くじ
昨今、サッカーくじで15億円キャリーオーバー、ドリームジャンボ宝くじ等々くじが盛り上がっていますが、落語に出てくるくじといえば富くじ。
御慶、
富久、
水屋の富、
宿屋の富
...と色々なネタに出てきます。
富くじの始まりは、江戸時代の初期に摂津箕面(現在の大阪)の瀧安寺の富会(とみえ)で、元旦からの七日間に参詣した人の中から選ばれた
三人に福運のお守りを授けるというものだったそうです。
その後、金銭が絡んだ富くじとなり、これが横行したため元禄五年(一六九二年)に江戸幕府によって禁令が出されました。
享保年間になって幕府の財政事情により幕府の寺社への補助金が減ったのを理由に、寺社が修理費等の工面をするためのくじを売ることを許可し、
これが幕府公認の富くじになりました。
富くじの最盛期は江戸中期、文化・文政(一八〇四~一八二九)の頃で、多いときには月に二十回以上も富の日が開かれたそうです。
江戸時代末期、俗に云うところの天保の改革によって禁止され、それ以降昭和二十年まで政府(幕府)公認の富くじは
発売されませんでした。
富くじの一等は突き留めと云い、金額は千両だったそうです(百両だった時代もあったようです)。これを現在の金額に換算するのは
諸物価の違いにより少々無理があるのですが、最盛期だった文化・文政年間の米価をもとに無理やり計算すると、
約三千万~五千万円くらいになるようです。
また蕎麦の値で換算すると六千万円強といったところでしょうか(文化・文政年間のかけそばを十六文、現在の立ち食いそば屋のかけそばを250円で計算)。
ただ、どちらにしても富くじ一枚の値段が一分というのはかなり高いものな気がします(上記の計算だと、一枚7,500円~16,000円くらい)。
それでもまさに一攫千金の富くじは昔も今を私たち庶民にとっては夢のある話であります。
参考資料:
- HP 『財団法人日本宝くじ協会 宝くじの歴史』
- HP 『日本銀行金融研究所貨幣博物館』
- HP 『目黒区公式ホームページ』
- 喜田川守貞著 『守貞謾稿』